教 師 道

日々の出来事を綴っていきます

2019年11月22日23日「絶不調からの産物」

最近の起床時刻は早くて5時。
平均すれば6時頃。
この時間帯に起きるということは、朝のルーティンに着手できないということを意味する。
それだけでも、リズムはだんだんと崩れていく…。

目が覚めても、気持ちが起きてこない。
朝の状態が、自分のバロメーターでもある。

22日は、授業らしい授業はできず。
展覧会初日ということや、翌日の図工制作の準備にも時間を要した。
とは言っても、「やろう」と思えばできたはず。
「時間が無い」というのは、まさしく“言い訳”だ。

最近、感情の起伏が激しい。
どちらかと言えば、ガクンと下がってしまう。
この日はまさに“それ”だった。

本来ならば「社会」の時間…
目の前にいる子供たちは、社会の教科書を準備して待っている。

『教科書○ページを読んで、自分たちで発言していってごらん』
すぐ近くの班にだけそれを伝える。
苦し紛れの指示…。
「教師」が先導していく気力が正直無かった。

目の前の班の子たちが音読、そして発言をしていく。
それを見て、周囲の班も同様に音読、発言…

完全に意図して行ったことではなかったが「班学」の形ができあがった…。
自分が無気力なために出してしまった指示…
しかしそこから想定外の結果が出てきた。
ほとんどの班が“真面目”に“懸命”に発言をしている。
これまでも何度か「班内」で発言をさせたことはあったが、ここまで手綱を離して行ったのは初めて。

私の“雰囲気”を察して取り組んでいる面もある。
絶対にある。
しかし、それでも思わぬ形から、子どもの成長を見ることが出来た。

とは言っても、まだまだ“理想”には及ばない。
けれども、ここからの伸び代は十分にある。
さっきまで弱気だった自分の気持ちが、こんなことからちょっと上がる。

子供たちが発言をしている間、次のように板書。

一斉学習
班学習(班学)
個人学習(自習)

一旦、手を止めさせて話をする。
多くの子にとっての「授業」のイメージは、まさに「一斉学習」だろう。
それと対極にあるのが、「自習」ではないだろうか?
その間に位置づけて「班学」を提示。

社会の発言をやっていたが、他にも色々とできるはず。
そんなことを伝える。

『もうしばらく“班学”を続けなさい』と指示。
すると、色んな活動を選んで行う班が出てくる。
この日出てきたのは、次のユニット。

・あまりのある100題のわり算
・国探し
・地名探し
百人一首

「班学、楽しい!」という声があがる。
一斉で行うときとは、また少し雰囲気が違う…。

切り替えが遅かったり、学習というよりも「遊び」に近い形になったりと課題はたくさん感じられたが、これは初回。
ここからいくらでも指導の余地はある。

こういう形で「班学」を導入するとは思ってもいなかったが…
ある意味で必然の結果なのかもしれない。

 


23日も展覧会のため学校。

午前中のうち2時間は公開で図工を行う。
5年生はクラスごとに行う。

その間も色々とあった。
私の状態も決して良くはなく…

いや、むしろここ最近では最も悪い。
振り返れば、表情に一切の笑みがなかった1日だった。

中休みを経て、公開が終了。
3時間目は後片付け。
早く終えた班から教室へ戻っていった。
(我がクラスは隣の学習室で行った)

私が最後の確認をして教室へ戻ると…
多くの班で「班学」が進められていた。
主に地図帳を使ったユニットが多い。
なかには百人一首を行っている班もある。
もちろん、私は何の指示も一切していない。

この2日間、私の状態は絶不調だったが、そんななかで生まれた「班学」
これまでの学級でも「班学」で思いっきり実践したことはなかった。
その分、私のなかでも「伸び代」が十分な実践だと思う。

ちょっとした期待を胸に、今週は終了。
かなり疲れた。

午後は、展覧会の当番。
それまでの時間で、できる限りの事務仕事を進めたい。